アイドルは愛である

旧 i@yume../ アイドルネイティブな私の気持ち/ジャニーズって何だ?をhatenaにする

私が一人のファンになるまで

「人の振り見て我が振り直せ」なんて諺がございますが、この度、私も自担の入所歴見て、我がジャニオタ人生振り返ってみようと思います。


ジャニーズ事務所のタレントのファンになって早10年(程)。長いような短いような、気付いたころには生活の中にジャニーズがあったわけですからね、あな恐ろしや。人生の半分くらいジャニーズと共に生きてるって、めっちゃ楽しい!素晴らしい!とは思いつつも、「このままでいいのかな…」という謎の焦燥感も持つようになった今日この頃。

ここ最近では、ジャニーズ事務所を“企業”として見るようになり、初めて抱いた嫌悪感なんかもございました。物事を別の視点から見ることができるくらいには「大人になったんだなぁ」と、人としての自身の成長をひしひしと感じます。


さて、ファンになって10年程の年月が流れた、ということは、その間にはある程度の担降り(もしくは掛け持ち)等の“環境の変化”が起こることが付き物です。特に私は飽き性でミーハーなので、その変遷は大変活発なものでした。また、自分も大人になりましたが、もちろんその分自担も大きく(おじさんにも)なりました。まずこれらを考えた結果、自分のこれまでを整理してみたいと思いました。

あと、どのようにしてこの事務所担っぽいジャニオタが生まれるに至ったか、自分で知っときたいなと思ったことも一因です。


そして、四月からは社会人の仲間入りを果たし、学生という身分であったこれまでと大きく違ったポジションに身を置くこととなった今。一度、これまで自分がたくさんの時間を費やしてきた“ジャニーズ”について振り返ることで、ある程度、公私共に区切りを付けたいなと思い、この振り返りを書いています。


堅っ苦しい文章っぽくしたいなと思っていますが、まぁおそらく飽き性の私は無理なので。途中で文体が一気に変わっても気にしないでください。


ちなみに記事タイトル元ネタはこちら。



〇ジャニーズを認識した日〇

・『てるてる家族』の錦戸亮 2003年(らしい)

みんなのなりたい顔ナンバーワンこと石原さとみちゃんが主演していたのNHK朝の連続テレビ小説てるてる家族』。舞台が出身の大阪だったこともあり、当時小学生くらいの私はこの連ドラが大好きで、毎日楽しみに見ておりました。

このドラマに出演していたのが、関ジャニ∞でありNEWSの錦戸亮さん。ヒロインの初恋の相手役である爽やかカッコいい錦戸君は、小さい私の目にもキラキラと映っていました。この時、母に錦戸くんについて聞いたことで初めて「ジャニーズ」という言葉を知りました。が、この時の私はまだ“錦戸くん”に興味があるのみ。まさか自分が将来とんでもないジャニオタになるなんて、想像もしなかったのです。

〇自担の歴史〇

・“ジャニーズ事務所”を認識した『ごくせん』~『野ブタ。をプロデュース』2005年

みんなで「赤西派か亀梨派どっち?」ってやってた。てか、当時クラスの子たちみんな『ごくせん』見てた。何なら男子がごくせんごっこやってた。小学生コワ。『NO MORE CRY』は未だにカラオケで歌うとめっちゃ盛り上がるので、年近い人はオススメ。ここでKAT-TUNというグループを知り、そこからしばらくKAT-TUN大好き期が訪れます。そうしてえんやこら日々を過ごしているうちに、ある番組が始まりました。

それが『野ブタ。をプロデュース』です。「野ブタ」も、うちのクラスはもちろんのこと社会的にも一大ムーブメントを巻き起こし、めっちゃCD売れましたね。ミーハーなので例に漏れず、私も野ブタめっちゃ見てました。

イーカラ(わかる人にはわかる家庭用テレビゲーム、死語)に曲入れて、友達と毎日のように歌い踊ってましたし、「青春アミーゴ」の振り付けは未だに踊れます。ちなみに、お気付きだとおもいますが、「ごくせん」でも「野ブタ」でもどっちも亀派でした。はい。ここで山下智久というもう一人のイケメン(と弟役のイケメン)の存在に気づき、ついにジャニーズという集団の存在に気づく。


ちなみの私のイーカラにはV6のグッディとかも入ってました。潜在的ジャニオタやんけ


補足:「野ブタ」に出ていた平成ジャンプの中島裕翔さんが気になり、『プリマダム』を見る。バレエやってたもんで、気になりました。バックのジュニアに目を付け、この頃からジャニオタとしての片鱗を見せ始める。


・止まらない亀梨の波と胸キュン『サプリ』~『たった一つの恋』2006年

こうやって見ると、私の一番初めの自担は亀梨和也さんですね。恐れ多いです。月9ドラマ「サプリ」、大好きでした。OP曲の「YOU」と絢香さんが歌う主題歌・挿入歌は未だに大好きです。そして、このドラマの伊東美咲に憧れて、一時期広告代理店目指してました。単純ですね。

これから大きく間を置かずして始まった「たった一つの恋」も素敵なお兄さんお姉さんの恋愛ドラマで、亀梨への憧れ留まるところをしらず、な状態がこの頃でした。これもまた、主題歌最高ですよね。小田和正さんの書く歌はいいなぁ



・棚ぼた的に知ったイケメン櫻井翔さん「風の向こうへ」の恩恵 2008年

もうこの頃にはジャニーズ事務所のタレントにどんな人がいるのか、何をしてる人たちなのか理解し、事務所のタレント全体を応援する姿勢を身に着けておりました。そのため、2007年の『花より団子リターンズ』で松本潤さんを知り、そっからなんとなく『バンビーノ』や『山田太郎ものがたり』を見て、ちゃっかりチェックしていた嵐。でも本格的に応援するには至らず。


大親友の韓流好きお母さんが『魔王』きっかけに大野君にハマり、「truth」のCDを買ったことに触発されたウチの母をけしかけCDショップに行ったことが全てのはじまりでした。この頃はまだ、嵐も発売日をしばらく過ぎても初回盤が売ってることは珍しくなく、「truth」もどうせ残ってるだろう、と余裕ぶっこいてたのを覚えています。

が、『魔王』効果で見事に「truth」の初回は完売。購入意欲を無くした母。お店まできて諦めきれない私、仕方なく両AB面だった「風の向こうへ」の初回盤をパパにねだりました。パパありがとう。買ってくれました。


帰宅しDVDを流して驚愕、「あれ、櫻井君ってこんなカッコよかったっけ?????????」。「風の向こうへ」の翔君、めっちゃ透明感あって爆イケなんですよね。最高。(この時期の翔君、ビジュアル全盛期、だと思う。)追い打ちをかけるように知った作詞能力。嵐のメンバーに関して、詳細な知識を持っていなかった小学生の私、rapの歌詞を自分で書いてることに感動。


丁度その時期、なんちゃらオリンピックの特番とかもあり、めっちゃ翔君テレビ出てたんですよね。そんな状況も味方し、あれよあれよと嵐のファンへと移っていったわけです。


しかし、母親がジャニーズ、しかも嵐嫌い(嵐って名前がダサい、というだけの理由で)だったためFCに入るには至らず。初めてコンサートに行ったのは結局『風景コン』でした。まぁいまではママもめっちゃ嵐好きやけどな。


はじめての担降りは、嵐への熱が冷めると同時に起こりましたね。高校で運動部入って忙しくなって、楽しみにしていたVS嵐も“知らん間に今週も終わってたわ”て日々でした。そしていつの間にか翔君どうでも良くなってた。「Beautiful World」のコンサートがなんか楽しめなくてファン辞める。このことをきっかけに、私が嵐に求めていたものは、元気な(元気をくれる)近所の兄ちゃん感だったと判明。



大倉忠義フェーズ到来 『ROMES』ジレを着るお兄さん 2009年

嵐と時を同じくして、父親がテレビドラマ好きなこともあり時代劇も良く見ていた私、必殺仕事人に出ている大倉忠義に目を付ける。


その後も『歌姫』、『ヤスコとケンジ』はゆるゆるとチェックしておりましたところに!!!!!現れた『ROMES 空港防御システム』。このドラマのたっちょんめっちゃカッコいいんですよ。マジカッコいいの極み。ロメスでの役柄で大倉君がジレ着てたことに触発され単純なジャニオタ、自分もジレめっちゃ着る。実際当時流行ってた。

中学の友達がデビュー時からのeighterだったことが分かって拍車がかかり、そこから関ジャニ∞時代到来。

けどこちらも、You&J解体と共にFCの更新がめんどくさくなり退会。いつの間にか担降り。ちなみに、この時期のアルバム「PUZZLE」は関ジャニらしい曲、アイドルらしい曲、バンド曲がバランスよく収録されていて、最高のアルバムです。これを超えるものがジャニーズのアルバムで、今のところ私の中で存在しない。それくらい関ジャニ∞は思い入れがある意味強いかも。この時期の唯一の欠点はすばるくんの髪が長すぎるところ。「PUZZLE」だけでまたWordファイル一個作れるわ。それくらい良いよ、そのうち記事にしよう。(先日既に書きました)あとこの後の「8UPPERS」もまぁまぁいい。

www.idol-ideal.jp



・平成ジャンプが繋いだ縁 大天使森本慎太郎との出会い

友達が山田君大好きで、しょっちゅう放課後JUMPの動画とか見てた日々。今となっては面影ないですが、大天使ちゃんだった森本慎太郎(現SixTONES)と出会います。これに関しては長くなるので別途後述します(笑)。でもだいたい2009年くらいかな。


萩谷慧悟さんをはじめとしたJr.の沼へ到着 関西ジャニーズJr.への思い入れ

どうやって萩ちゃんにいきついたのか全然わからないんですが、櫻井翔を降り、大倉忠義を降りいつの間にか行きついたのがジャニーズJr.でした。おそらく慎太郎から流れ流れてJr.全体を推してたんだと思います。「ガムシャラ!」とかめっちゃ見てた。J'Partyとかエモすぎですね。グループ乱立の今となっては懐かしい、群雄割拠の個人戦時…。萩安は偉大だ。。。

あと関西ジャニーズJr.もめっちゃ応援してました。平野がいきなり関ジュになったときのことも良く覚えています。なんやねんこいつどこの誰やねん、って思ってました。ごめんね。

基本スタンスとして、何故か関ジュは誰か一人、ではなく関西全体を応援するという感じで。この人!ではなく関ジュ全体が好き!って思ってました。だから、ジャニーズWESTがデビューしたことは私にとってすごく大きい出来事でしたね。そして好きだった関西ジャニーズJr.の形が変わっていくことがしんどかった。

そういうあれこれがあって、ジャニーズWESTは全然通っていません。友達にジャニストの担当がおって、西コンの映像見せてもらったけどめっちゃしんどかった。コンサート映像全部を泣かずに見れない、プチ過呼吸なりながらライブDVDを見た初めての体験。ジャニオタ人生で初めてJr.から見守って、デビューを見送ったグループ。だからかな、とりあえずしんどいグループ。

※激重メンヘラオタみたいな書き方してますがまあ実際はそうでもないです。わりと盛った。


・恋はミステリー だね 今更感あるKinKi Kids

前から曲は知っていたし、気になってはいたけど本格的に追い始めたのは2014?かな?この辺でキンキに手を出し始めた。わりと沼だった。前からSHOCKが好きだったけど、FCに入ったりコンサート行くようになったのは大学入ってからです。

初めていったキンキ(関係)のコンサートは光一ソロコンの「Spiral」。「Spiral」コンにどうしても行きたくて、そのためにFC入ったくらい。コウイチソロコンは最高。ただソロの曲は好きじゃない。でも演出が神。


キンキの良いところは、二人にしか出せない世界観が確かにあって、二人からしか生まれない作品があること、そしてそのことを本人たちが(良くも悪くも)一番わかっているところだと思います。そういうとこや、そういう関係性に憧れる。嵐やエイト好きだったときのような「かっこいい~」みたいな理由じゃなくなったとこに、多少の老いを感じるな。


あとLiveでは毎回、衝撃を受ける。コンサートではフォース使いがち・演出派手になりがち。二人しかいないのになんであんなド派手な演出毎度できるんですか凄いですね。どんな曲を歌っても絶対に悲しみと儚さを詰め込みました~、絶望全部乗せ~~って感じの雰囲気が出てしまうチーム悲壮感なとこもポイント。全編オーケストラのコンサートも行きましたが、全然飽きなかったし大満足だった。

キンキに関しても今度ちゃんと言葉を整えて書きますね。

うちの母は剛君派。




ざっとこんなもんですかね、てか後半なんかすげー雑だな。集中力欠けてきたことがこんなにも分かりやすい文章、他にあるのでしょうか?でもまだこれ中盤です。

え~、続きまして~

本格的に“担当”ができた嵐の頃から考えても、継続し、応援している歴が一番長い森本慎太郎さんについて書きたいと思います!!!!!!気づいたらなぜか10年追ってた。なんでモリやねん。もはや幼馴染みたいな、成長を見守った息子のようなそんな感覚です。歳変わんねーけどな。彼の結婚まで見守りたい。


これに関しては長くなるのでまたいつかちゃんと整理して書くもん



とりあえず、私が一人のファンになるまでにはこんな道のりがありました。

雑な文末でごめんな